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2015.02.13 22:06

富岡製糸場が世界遺産に登録された瞬間


富岡製糸場は昨年の6月25日に、正式に世界遺産委登録されました。正式には富岡製糸場と絹遺産群ですが。その時の画像がコチラでです。
https://www.youtube.com/watch?v=GeellbONR64
決定的習慣は7分15秒からです。
2015.02.08 23:23

富岡製糸場と女工哀史


製糸場と言うと直ぐに思い出すのが、女工哀史(あゝ野麦峠)ですが、岡谷の製糸場と富岡製糸場の決定的な違いは、働いていた女性の年齢です。
あゝ野麦峠では飛騨高山地方の貧しい農家の12歳前後の女子が、野麦峠を越えて、岡谷の製糸工場で働きますが、富岡製糸場は12歳未満の雇用を禁止していましたし、一日7時間45分の労働と定めています。
休日は日曜日(年50日)祭日(年6日)年末年始(年10日)夏休み(年10日)万聖節(ハローウィン)天長節と決められていました。
又食事代の自己負担なし、夏冬の服料として年5円が支給されました。
賃金は岡谷の製糸場の方がはるかに上で年間100円(当時は100円有れば家が建つと言われていたそうです)を稼いだ人もいたそうです。富岡製糸場では1等工女で1ヶ月1円75銭、等外工女は75銭でした。(時代が20年ばかり違いますが)
全国から集った工女は、元武家の娘たちが多かったようで、彦根(滋賀県)から来た女性は、鉄道と馬車で富岡まで来たそうです。
富岡製糸場は、働くことが目的では無く、繰糸を伝習して故郷でその技術を伝えることが決定的な違いかと思います。この事は、三井、原、片倉の時代も伝承されていたようです。
2015.02.05 22:34

スズラン通り

スズラン通り
富岡製糸場から徒歩3分の場所にこの通りは有ります。
富岡の住人でもこの通りの名前を名前を知る人は少ないですね。
通称「飲み屋街」です。
昭和の時代は、夜ともあると、千鳥足の方や、夜の蝶が行き来したいたもんですが、近頃はめっきり人通りも少なくなりました。
正面に見える「酒蔵」は富岡で唯一のふぐ料理の店でしたが、今は新しい場所で「とろろ蕎麦」のお店を開いています。
私も昭和の時代にはこのお店によく行ったもんです。
2015.02.04 21:33

二十二夜様


富岡製糸場から程近い場所に二十二夜様がありました。
現在は、講は行われていないと思われます。
何故なら、集まる場所が有りません。
昭和2年に、この碑が建てられてようですが、その頃は22日には女子が集まって講が行われたのでしょうね。
2015.02.03 21:10

富岡のまちなかの歩道には

歩道の案内表示
富岡製糸場の周辺には写真のような案内表示がいたるところに見えます。
上信電鉄 上信線 上州富岡駅からや、臨時駐車場からの案内が懇切亭にいに標示されています。
駐車場も世界遺産になる前と比べると、数も増えましたし、案内板も充実しています。
公衆トイレもいたる所に有りますので、不便は無いと思います。
富岡製糸場内にも簡易トイレが有りますが、現在急ピッチでトイレの工事が始まっています。
世界遺産になった当時は、見学者がTVのインタビューで、「駐車場が判りづらい」とか、「トイレが判らないし少ない」とか、「案内板が少ないと」か言ってましたが、今では、「くどい」と言われるほどになりました。たった半年です。まちなかにも、「トイレどうぞ」みたいな看板を上げているお店が有りますし、「お困りですか」どうぞみたいな看板も目立ちます。
無料で使えるWi-Fiスポットも沢山出来ました。
私が調べた、駐車場とトイレの地図をお知らせしておきます。
http://www.dokudantomioka.iihana.com/images/map-3.jpg
2015.02.02 17:47

大正3年の富岡の住宅地図

大正3年の住宅地図
大正3年に出来た富岡の住宅地図です。
今でも有るお店、無くなってしまったお店。
今でも、住んでいるお宅などが判ります。
電話番号も入っています。
素晴らしいですね。
2015.01.31 23:06

独断富岡のブログはじめました


独断富岡は、富岡のまちなかや、富岡製糸場の情報をお伝えしますのでご期待ください。
2014年2月の雪害により被災した乾燥場の内部整理、番付(部材に1枚ごとにその物がどこで使用されていたかわかるように順番を記した木札を付ける)作業が終わったため、解体作業に入っています。今後は進行状況を随時更新していきます。(富岡製糸場フェイスブックより)
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